エニアグラム 本質と性格
エニアグラムでは
私たちは性格をはるかに超えた存在であると考えます。
私はここまで生きてきて
「性格=その人そのもの」
というイメージでした。
いつもにこにこ笑顔で快活に過ごしている人がいたら「あの人は明るい人だ」と思いますよね。
でも表面に表れてくるものそのものがその人の本質というわけではありません。
正確には「にこにこ笑顔で快活に過ごす」ことを選択している人であって、必ずしもその人の本質と一致しているというわけではないのです。
今日は性格と本質について少し考えてみます。
【本質とは】
あるものがそのものであると云いうるために最低限持たなければならない性質をいう。
或る存在を必然的にその存在として規定する内実がその本質である。
伝統的には、「それは何であるか」という問いに対する答えとして与えられるもの。
【性格とは】
その者の性質を表す。人だけとは限らない。
感情面の個性は気質という先天的傾向に基づくといい、気質から作られる行動や意欲の傾向が性格と呼ばれる。
(Wikipediaより)
本質があって、気質の力を使って生きている環境に適応するために後天的に生み出されてきたのが性格です。
本質とは
私たちの根本的存在であり、
本質的自己であり、
存在の基盤であり
スピリットともいえるものです。
でも、自分は何者なのかという本質的なことはみな忘れてしまっています。
エニアグラムでは本来の自分とは何かを教えてくれるわけではありません。
本来の自分をいかに制限してきたかを教えてくれるのです。
あなたはこういう人ですと箱に入れて分類するのではなく、自分が入っている箱からどうやって出ればいいかを教えてくれます。
人はみな、それぞれの本質と気質を持ってこの世に生を受けます。
子どもにとって初めての社会が親子関係です。
はじめに親との関係を通して社会との関わり方を学んでいきます。
そして成長する過程で、様々な傷を負います。
傷と書くと、親が子供を傷つけるなんて…と思ってしまうかもしれません。
でも、どんな完璧に見える親であっても100%子供の要求に応えられる人はいません。
子どもがかまってほしいときに365日24時間、毎回子供の要望にこたえ続けるなんて人間にはできないですよね。
どのような環境であっても大小の差はあれども何かしらの傷を負ってしまうものでしょう。
でも、子どもは弱いだけの存在ではありません。
傷つけられたらその傷を治そうとします。それって生存本能でもありますよね。
何か子供時代に受けた難事を切り抜けていくために、子どもは特定の対応方法を身に着けます。
例えば、母親にかまってほしいから泣いてみる子もいれば、わざといたずらをしてみる子もいるでしょうし、にこにこ母親に近寄っていく子もいるでしょう。
子どもはそれぞれの親子とのかかわりの中で、こうやったほうが自分の思い通りに事が運ぶぞ!とかこうすると怒られるからやめよう!など様々なことを学んでいきます。
そこには善悪の判断はなく、次第にその行動が身についていき無意識に限定された行動をとるようになります。
また親から言われたことはそれが絶対的真実のように心に響いてしまいます。
あなたは素晴らしい子よ
なんでお前はできないんだ
親からいつも言われていた言葉が自己イメージに大きな影響を与えることは明らかです。
それがどんどん積み重なっていき、自己イメージができあがっていきます。
子ども時代の経験、記憶、内面イメージ、学習された行動、これらが性格として表面上に現れます。
周りに適応するために最適な自分を作り上げていきます。
それが続いていくと、それが強固になっていき、まるでその子そのもののようになってきます。
こうなっていくと、性格=自分という構造になってしまいます。
こうなると、もともと持っていた本質ではなく、その後に作られた性格がその子を操るようになってしまいます。
性格は悪いものではありません。
成長のための一部であって、自分は性格そのものでもありません。
性格というものをもち、性格を通じて自己表現をしている存在が人間です。
性格を理解し、その支配から逃れれば、自分の本質に近づくことができるようになります。
そこには不安、心配などはなく、あるのは「今ここ」。
エニアグラムでは性格の構造、タイプによってどこに不安を抱えているか、行動原理となっているものは何かが見えてくるので、性格を理解するための大きなかけはしとなってくれます。
それでは今日はここまで。
ここまで読んでいただきありがとうございました。